C2 · 後編第62章

タペストリーの裏側としての翻訳

バルセロナの印刷所で、ドン・キホーテはある翻訳者に出会い、翻訳についての意見を述べます。それはフランドルのタペストリーを裏から見るようなものだ、と。翻訳者たちは今でもこのたとえを引用します。それはまた、このたとえが出てくる本そのものについての意見でもあります。この本は第9章以来、自分自身が翻訳だと言いつづけているのですから。

セルバンテスが書いたままの抜粋

ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』後編第62章。原文のまま。

Pero, con todo esto, me parece que el traducir de una lengua en otra, como no sea de las reinas de las lenguas, griega y latina, es como quien mira los tapices flamencos por el revés, que, aunque se veen las figuras, son llenas de hilos que las escurecen, y no se veen con la lisura y tez de la haz; y el traducir de lenguas fáciles, ni arguye ingenio ni elocución, como no le arguye el que traslada ni el que copia un papel de otro papel.

しかしそれにもかかわらず、私には、ある言語から別の言語へ訳すことは、言語の女王であるギリシア語とラテン語からでもないかぎり、フランドルのタペストリーを裏から見るようなものだと思われる。図柄は見えても、それを覆い隠す糸がいっぱいで、表のようななめらかさと仕上がりでは見えないのだ。そしてやさしい言語から訳すことは、ある紙から別の紙へ書き写す人と同じで、才知も雄弁も示すものではない。

同じ内容を、今日書かれるスペイン語で

二つを並べて読んでみましょう。両者の間で変わったことが、このレベルの学習内容です。

Pero, con todo, me parece que traducir de una lengua a otra, salvo que sea de las reinas de las lenguas, el griego y el latín, es como mirar los tapices flamencos por el revés, que, aunque se ven las figuras, están llenas de hilos que las oscurecen, y no se ven con la lisura y el acabado del derecho. Y traducir de lenguas fáciles no demuestra ni talento ni elocuencia, igual que no los demuestra quien transcribe o copia un papel de otro papel.

形ごとの変化

原文現在なぜ大事か
el traducirtraducir冠詞のついた不定詞が主語として使われています。今では改まった言い方ですが、当時はふつうでした。
en otraa otratraducir en で、今では traducir a しか認められません。
como no sea desalvo que sea decomo no と接続法で「〜でないかぎり」。今も生きていますが、やや文語的です。
es como quien miraes como mirar比較が、行為からそれを行う人へとずれていきます。ゆるい形ですが、話し言葉ではまったく自然です。
se veense ven二つの母音がまだひとつになっていない古い形です。
son llenasestán llenas今なら estar をとる状態に ser を使っています。
escurecenoscurecen古い母音です。
la hazel derecho布の表側のこと。葉の表と裏を言う haz y envés に残っています。
arguyedemuestraargüir は「証明する、示す」の意味で、「言い争う」ではありません。
trasladacopia, transcribetrasladar は文章を書き写すという意味で、traslado の背後にある古い意味です。

構文

たとえのほうが主張より場所をとっています。主節 el traducir ... es como quien mira los tapices は例外の como no sea でさえぎられ、次にタペストリーが自分の節をもらい、その中に譲歩 aunque se veen las figuras が入り、それからようやく文は糸にたどり着きます。son llenas が tapices ではなく figuras と一致していることにも注目してください。途中で主語がそっと変わっているのです。話し言葉ではまさにそういうことが起こります。

スペイン語の読者に聞こえるもの

ドン・キホーテはこれを、バルセロナの印刷所で、イタリアの本を訳した男に向かって言いますが、その下には別のものがあります。小説全体が、干しぶどうと小麦で雇われたモリスコによるアラビア語からの翻訳だと称しているのです。だからドン・キホーテ自身の規則によれば、手の中にあるこの本こそがタペストリーの裏側で、ほつれた糸だらけということになります。翻訳者たちはそれ以来このたとえを引用してきました。たいていは賛意をこめて、そしてたいていは、それが狂人によって、自分が登場する本について語られていることに気づかずに。

この講座のどこでこの準備ができるか